巻次 行 184頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 ちこれ来生なり。一たび人身を失いつれば、万劫にも復せず。この時悟らずは、仏もし衆生をいかがしたまわん。願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔を貽すことなかれと。浄楽の居士張掄、縁を勧む、と。已上 台教の祖師山陰 慶文法師 の云わく、まことに仏名は真応の身よりして建立せるがゆえに、慈悲海よりして建立せるがゆえに、誓願海よりして建立せるがゆえに、智慧海よりして建立せるがゆえに、法門海よりして建立せるに由るがゆえに、もしただ専ら一仏の名号を称するは、すなわちこれつぶさに諸仏の名号を称するなり。功徳無量なれば、よく罪障を滅す。よく浄土に生ず。何ぞ必ず疑いを生ぜんやと。已上 (観経義疏)律宗の祖師元照の云わく、いわんや我が仏の大慈、浄土を開示して慇懃にあまねくもろもろの大乗を勧嘱したまえり。目に見、耳に聞きて、特に疑謗を生じて、自ら甘く沈溺して超昇を慕わず。如来説きて憐憫すべき者のためにしたまえり。まことに、この法のひとり常途に異なることを知らざるに由ってなり。賢愚を択ばず、緇素を簡ばず、修行の久近を論ぜず、造罪の重軽を問わず、ただ、決定の信心すなわちこれ往生の因種ならしむ、と。已上 また云わく、今、浄土の諸経に並びに魔を言わず。すなわち知りぬ、この法に魔なきこと明らけしと。山陰の慶文法師の正信法門にこれを弁ずること、はなはだ詳らかなり。今ためにつぶさにかの問を引きて、曰わく、「あるいは人ありて云わく、臨終に仏・菩薩の光を放ち、台を持したまえるを見たてまつり、天楽異香来迎往生す。並びにこれ魔事なり、と。この説、いかんぞや。答えて曰わく、『首楞厳』に依って三昧を修習することあり、あるいは陰魔を発動す。『摩訶衍論』(大乗起信論)に依って三昧を修習することあり、あるいは外魔 紙面画像を印刷 前のページ p184 次のページ 第二版p201~203へ このページの先頭に戻る