巻次 行 183頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 たまえり。自ずから果を獲ざらんや。かるがゆえに自然と云う。貴賤を簡ばず、みな往生を得しむ。かるがゆえに「著無上下」と云う、と。 また云わく、「易往而無人 其国不逆違 自然之所牽」と。因を修すればすなわち往く、修することなければ生まるること尠なし。因を修して来生するに、終に違逆せず。すなわち易往なり。 また云わく、本願力故というは、 すなわち往くこと誓願の力なり。 満足願故というは、 願として欠くることなきがゆえに。 明了願故というは、 これを求むるに虚しからざるがゆえに。 堅固願故というは、 縁として壊ることあたわざるがゆえに。 究竟願故というは、 必ず果し遂ぐるがゆえに。 また云わく、総じてこれを言わば、凡小をして欲往生の意を増さしめんと欲うがゆえに、須らくかの土の勝るることを顕すべし、と。 また云わく、すでにこの土にして菩薩の行を修すと言えり。すなわち知りぬ、無諍王この方にましますことを。宝海もまたしかなり、と。 また云わく、仏の威徳広大を聞くがゆえに、不退転を得るなり、と。已上 『楽邦文類』に云わく、総官の張掄云わく、「仏号はなはだ持ち易し、浄土はなはだ往き易し。八万四千の法門、この捷径にしくなし。ただよく清晨俛仰の暇を輟めて、ついに永劫不壊の資をなすべし。これすなわち、力を用うることは、はなはだ微にして、功を収むることいまし尽くることあることなけん。衆生また何の苦しみあればか、自ら棄ててせざらんや。ああ夢幻にして真にあらず、寿夭にして保ちがたし。呼吸の頃に、すなわ 紙面画像を印刷 前のページ p183 次のページ 第二版p200・201へ このページの先頭に戻る