巻次 行 186頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 地も捨身の処にあらざることなし。悲智六度、摂化して、もって遺すことなし。内外の両財、求むるに随うて必ず応ず。機と縁と熟し、行満じ功成り、一時に円かに三身を証す。万徳すべて四字に彰る、と。已上 また云わく、いわんや我が弥陀は名をもって物を接したまう。ここをもって耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。永く仏種となりて、頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。信に知りぬ、少善根にあらず、これ多功徳なり、と。已上 また云わく、正念の中に、凡人の臨終は識神、主なし。善悪の業種、発現せざることなし。あるいは悪念を起こし、あるいは邪見を起こし、あるいは繫恋を生じ、あるいは猖狂悪相を発せん。もっぱらみな、顚倒の因と名づくるにあらずや。前に仏を誦して、罪滅し、障除こり、浄業内に熏じ、慈光外に摂して、苦を脱れ楽を得ること、一刹那の間なり。下の文に生を勧む、その利、ここにあり、と。已上 (観経義疏)慈雲法師の云わく、ただ安養の浄業、捷真なり。修すべし。もし四衆ありて、また速やかに無明を破し、永く五逆・十悪重軽等の罪を滅せんと欲わば、当にこの法を修すべし。大小の戒体、遠くまた清浄なることを得しめ、念仏三昧を得しめ、菩薩の諸波羅蜜を成就せんと欲わば、当にこの法を学すべし。臨終にもろもろの怖畏を離れしめ、身心安快にして衆聖現前し、授手接引せらるることを得、初めて塵労を離れてすなわち不退に至り、長劫を歴ず、すなわち無生を得んと欲わば、当にこの法等を学すべし。古賢の法語によく従うことなからんや。已上五門、綱要を略標す。自余は尽くさず、くわしく釈文にあり。『開元の蔵録』(開元釈教録)を案ずるに、この経おおよそ両訳あり。前本はすでに亡じぬ。いまの本はすなわち畺良耶舎の 紙面画像を印刷 前のページ p186 次のページ 第二版p204・205へ このページの先頭に戻る