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は了達してそれ水にあらずと知らん。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂わん、諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、乾闥婆城のごとし。愚痴の人は謂うて真実とす、智者は了達してそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂えり、諸仏世尊はそれ真にあらずと了知せしめたまえり。大王、人の夢の中に五欲の楽を受くるがごとし。愚痴の人はこれを謂うて実とす、智者は了達してそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂えり、諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、殺法・殺業・殺者・殺果および解脱、我みなこれを了れり、すなわち罪あることなけん。王、殺を知るといえども、いかんぞ罪あらんや。大王、たとえば人主ありて酒を典れりと知れども、もしそれ飲まざればすなわちまた酔わざるがごとし。また火と知るといえども焼燃せず。王もまたかくのごとし。また殺を知るといえども云何ぞ罪あらんや。大王、もろもろの衆生ありて、日の出ずる時において種種の罪を作る、月の出ずる時においてまた劫盗を行ぜん。日月出でざるに、すなわち罪を作らず。日月に因ってそれ罪を作らしむといえども、しかるにこの日月実に罪を得ず。殺もまたかくのごとし。乃至
 大王、たとえば涅槃は非有・非無にしてまたこれ有なるがごとし。殺もまたかくのごとし。非有・非無にしてまたこれ有なりといえども、慙愧の人はすなわち非有とす。無慙愧の者はすなわち非無とす。果報を受くる者、これを名づけて「有」とす。空見の人は、すなわち「非有」とす。有見の人は、すなわち「非無」とす。有有見の者は、また名づけて「有」とす。何をもってのゆえに、有有見の者は果報を得るがゆえに、無有見の者はすなわち果報なし。常見の人はすなわち「非有」とす。無常見の者はすなわち「非無」とす。常常見の者