巻次
293頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

だかの国土の受楽無間なるを聞きて、楽のためのゆえに生まれんと願ずるは、また当に往生を得ざるべきなり。このゆえに「自身住持の楽を求めず、一切衆生の苦を抜かんと欲すがゆえに」と言えり。住持楽とは、謂わくかの安楽浄土は、阿弥陀如来の本願力のために住持せられて、楽を受くること間なきなり。おおよそ回向の名義を釈せば、謂わく己が所集の一切の功徳をもって、一切衆生に施与して、共に仏道に向かえしめたまうなりと。巧方便は、謂わく菩薩願ずらく、「己が智慧の火をもって、一切衆生の煩悩の草木を焼かんと。もし一衆生として成仏せざることあらば、我仏に作らじ」と。しかるに衆生未だことごとく成仏せざるに、菩薩すでに自ら成仏せんは、譬えば火擿 聴念の反 して、一切の草木を擿 聴歴の反 んで、焼きて尽くさしめんと欲するに、草木未だ尽きざるに、火擿すでに尽きんがごとし。その身を後にして、身を先にするをもってのゆえに、方便と名づく。この中に方便と言うは、謂わく作願して一切衆生を摂取して、共に同じくかの安楽仏国に生ぜしむ。かの仏国は、すなわちこれ畢竟成仏の道路、無上の方便なり。
 「障菩提門」とは、「菩薩、かくのごとき、善く回向成就したまえるを知れば、すなわちよく三種の菩提門相違の法を遠離するなり。何等か三種。一つには智慧門に依りて自楽を求めず、我心、自身に貪着するを遠離せるがゆえに」(論)とのたまえり。進むを知りて退くを守るを智と曰う。空無我を知るを慧と曰う。智に依るがゆえに自楽を求めず、慧に依るがゆえに我心、自身に貪着するを遠離せり。「二つには慈悲門に依れり。一切衆生の苦を抜いて、無安衆生心を遠離せるがゆえに」(論)とのたまえり。苦を抜くを慈と曰う。楽を与うるを悲と曰う。慈に依るがゆえに一切衆生の苦を抜く。悲に依るがゆえに無安衆生心を遠離せり。「三つには方便