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門に依れり。一切衆生を憐愍したまう心なり。自身を供養し恭敬する心を遠離せるがゆえに」(論)とのたまえり。正直を方と曰う。外己を便と曰う。正直に依るがゆえに、一切衆生を憐愍する心を生ず。外己に依るがゆえに自身を供養し恭敬する心を遠離せり。これを三種の菩提門相違の法を遠離すと名づく。
 「順菩提門」とは、「菩薩は、かくのごとき三種の菩提門相違の法を遠離して、三種の随順菩提門の法満足することを得たまえるがゆえに。何等か三種。一つには無染清浄心。自身のために諸楽を求めざるをもってのゆえに」(論)とのたまえり。菩提はこれ無染清浄の処なり。もし身のために楽を求めば、すなわち菩提に違しなん。このゆえに無染清浄心は、これ菩提門に順ずるなり。「二つには安清浄心。一切衆生の苦を抜くをもってのゆえに」(論)とのたまえり。菩提はこれ一切衆生を安穏する清浄の処なり。もし作心して一切衆生を抜きて生死の苦を離れしめずは、すなわち菩提に違しなん。このゆえに一切衆生の苦を抜くは、これ菩提門に順ずるなりと。「三つには楽清浄心。一切衆生をして大菩提を得しむるをもってのゆえに、衆生を摂取してかの国土に生ぜしむるをもってのゆえに」(論)とのたまえり。菩提はこれ畢竟常楽の処なり。もし一切衆生をして畢竟常楽を得しめずは、すなわち菩提に違しなん。この畢竟常楽は何に依りてか得る、大義門に依るなり。大義門は、謂わくかの安楽仏国土これなり。このゆえにまた「衆生を摂取してかの国土に生ぜしむるをもってのゆえに」と言えり。これを「三種の随順菩提門の法満足せり」と名づくと、知るべしと。
 「名義摂対」とは、「さきに、智慧・慈悲・方便、三種の門、般若を摂取す。般若、方便を摂取すと説きつ。知るべし」(論)とのたまえり。般若は如に達するの慧の名なり。方便は権に通ずるの智の称なり。如に達すれ