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なり。衆生の虚妄を知れば、則ち真実の慈悲を生ずるなり。真実の法身を知るは則ち真実の帰依を起こすなり。慈悲と帰依と巧方便とは下に在り。
 「何者か、菩薩の巧方便回向。菩薩の巧方便回向は、謂わく、礼拝等の五種の修行を説く。所集の一切の功徳善根は、自身住持の楽を求めず、一切衆生の苦を抜かんと欲すが故に、作願して一切衆生を摂取して、共に同じく彼の安楽仏国に生ぜしむ。是れを「菩薩の巧方便回向成就」と名づく」(論)とのたまえり。王舎城所説の『無量寿経』を案ずるに、三輩生の中に、行に優劣有りと雖も、皆、無上菩提の心を発せざるは莫けん。此の無上菩提心は即ち是れ願作仏心なり。願作仏心は即ち是れ度衆生心なり。度衆生心は即ち是れ衆生を摂取して有仏の国土に生ぜしむる心なり。是の故に彼の安楽浄土に生まれんと願ずるは、要ず無上菩提心を発するなり。若し人、無上菩提心を発せずして、但、彼の国土の受楽無間なるを聞きて、楽の為の故に生まれんと願ずるは、亦当に往生を得ざるべきなり。是の故に「自身住持の楽を求めず、一切衆生の苦を抜かんと欲すが故に」と言えり。「住持楽」とは、謂わく、彼の安楽浄土は、阿弥陀如来の本願力の為に住持せられて、楽を受くること間無きなり。
 凡そ回向の名義を釈せば、謂わく、己が所集の一切の功徳を以て、一切衆生に施与して、共