巻次 証 336頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 に仏道に向かえしめたまうなりと。「巧便」は、謂わく、菩薩願ずらく、「己が智慧の火を以て一切衆生の煩悩の草木を焼かんと。若し一衆生として成仏せざること有らば、我、仏に作らじ」と。而るに衆生、未だ尽く成仏せざるに、菩薩、已に自ら成仏せんは、譬えば火擿 聴念の反 して、一切の草木を擿 聴歴の反 んで〔「擿」の字 他暦の反。排除なり。とる。つむ。おく。たく。〕焼きて尽くさしめんと欲するに、草木、未だ尽きざるに、火擿、已に尽きんが如し。其の身を後にして、身を先にするを以ての故に、「方便」と名づく。此の中に「方便」と言うは、謂わく、作願して一切衆生を摂取して、共に同じく彼の安楽仏国に生ぜしむ。彼の仏国は、即ち是れ畢竟成仏の道路・無上の方便なり。 障菩提門は、「菩薩、是くの如き、善く回向成就したまえるを知れば、即ち能く三種の菩提門相違の法を遠離するなり。何等か三種。一には智慧門に依りて自楽を求めず。我心、自身に貪著するを遠離せるが故に」(論)とのたまえり。進むを知りて退くを守るを「智」と曰う。空無我を知るを「慧」と曰う。智に依るが故に自楽を求めず。慧に依るが故に、我心、自身に貪著するを遠離せり。 「二には慈悲門に依れり。一切衆生の苦を抜いて、無安衆生心を遠離せるが故に」(論)とのたまえり。苦を抜くを「慈」と曰う。楽を与うるを「悲」と曰う。慈に依るが故に一切衆生の苦を抜く。悲に依るが故に無安衆生心を遠離せり。 紙面画像を印刷 前のページ p336 次のページ 初版p293へ このページの先頭に戻る