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門は出の功徳を成就したまえり」(論)とのたまえり。この入出の功徳は、何ものかこれや。釈すらく、「入第一門というは、阿弥陀仏を礼拝して、かの国に生ぜしめんがためにするをもってのゆえに、安楽世界に生まるることを得しむ。これを入第一門と名づく」(論)。仏を礼して仏国に生まれんと願ずるは、これ初めの功徳の相なりと。「入第二門とは、阿弥陀仏を讃嘆し、名義に随順して、如来の名を称せしめ、如来の光明智相に依って修行せるをもってのゆえに、大会衆の数に入ることを得しむ。これを入第二門と名づく」(論)とのたまえり。如来の名義に依って讃嘆する、これ第二の功徳相なりと。「入第三門とは、一心に専念し作願して、彼に生じて奢摩他寂静三昧の行を修するをもってのゆえに、蓮華蔵世界に入ることを得しむ。これを入第三門と名づく」(論)。寂静止を修せんためのゆえに、一心にかの国に生まれんと願ずる、これ第三の功徳相なりと。「入第四門とは、かの妙荘厳を専念し観察して、毘婆舎那を修せしむるをもってのゆえに、かの所に到ることを得て、種種の法味の楽を受用せしむ。これを入第四門と名づく」(論)とのたまえり。種種の法味の楽とは、毘婆舎那の中に、観仏国土清浄味・摂受衆生大乗味・畢竟住持不虚作味・類事起行願取仏土味あり。かくのごときらの無量の荘厳仏道の味あるがゆえに、種種と言えり。これ第四の功徳相なりと。「出第五門とは、大慈悲をもって一切苦悩の衆生を観察して、応化身を示して、生死の園、煩悩の林の中に回入して、神通に遊戯し、教化地に至る。本願力の回向をもってのゆえに。これを出第五門と名づく」(論)とのたまえり。示応化身とは、『法華経』の普門示現の類のごときなり。遊戯に二の義あり。一には自在の義。菩薩、衆生を度す。譬えば師子の鹿を摶つに所為難らざるがごときは、遊戯するがごとし。二には度無所度の義なり。菩薩、衆生