巻次 証 298頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 を観ずるに畢竟じて所有なし。無量の衆生を度すといえども、実に一衆生として滅度を得る者なし。衆生を度すと示すこと、遊戯するがごとし。本願力と言うは、大菩薩、法身の中において、常に三昧にましまして、種種の身、種種の神通、種種の説法を現ずることを示すこと、みな本願力より起これるをもってなり。譬えば阿修羅の琴の鼓する者なしといえども、音曲自然なるがごとし。これを教化地の第五の功徳相と名づくとのたまえり。已上抄出 しかれば大聖の真言、誠に知りぬ。大涅槃を証することは、願力の回向に藉りてなり。還相の利益は、利他の正意を顕すなり。ここをもって論主(天親)は広大無碍の一心を宣布して、あまねく雑染堪忍の群萌を開化す。宗師(曇鸞)は大悲往還の回向を顕示して、ねんごろに他利利他の深義を弘宣したまえり。仰ぎて奉持すべし、特に頂戴すべしと。顕浄土真実証文類四 漢文 爾者、大聖真言、誠知、証大涅槃、藉願力回向。還相利益、顕利他正意。是以論主宣布広大無碍一心、普遍開化雑染堪忍群萌。宗師顕示大悲往還回向、慇懃弘宣他利利他深義。仰可奉持、特可頂戴矣。 紙面画像を印刷 前のページ p298 次のページ 第二版p342・343へ このページの先頭に戻る