巻次
真仏土
304頁
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涅槃なり。涅槃はすなわちこれ無尽なり。無尽はすなわちこれ仏性なり。仏性はすなわちこれ決定なり。決定はすなわちこれ阿耨多羅三藐三菩提なりと。迦葉菩薩、仏に白して言さく、「世尊、もし涅槃と仏性と決定と如来と、これ一義名ならば、いかんぞ説きて三帰依ありと言えるや」と。仏、迦葉に告げたまわく、「善男子、一切衆生、生死を怖畏するがゆえに、三帰を求む。三帰をもってのゆえに、すなわち仏性と決定と涅槃とを知るなりと。善男子、法の名一・義異なるあり。法の名義倶異なるあり。名一・義異とは、仏と常法と常比丘僧とは常なり。涅槃・虚空、みなまたこれ常なり。これを名一・義異と名づく。名義倶異とは、仏を名づけて覚とす、法を不覚と名づく、僧を和合と名づく、涅槃を解脱と名づく、虚空を非善と名づく、また無碍と名づく。これを名義倶異とす。善男子、三帰依とはまたかくのごとし」と。略出
 (四依品)また言わく、光明は不羸劣に名づく。不羸劣とは、名づけて如来と曰う。また光明は名づけて智慧とす、と。已上
 (聖行品)また言わく、善男子、一切有為はみなこれ無常なり。虚空は無為なり、このゆえに常とす。仏性は無為なり、このゆえに常とす。虚空はすなわちこれ仏性なり、仏性はすなわちこれ如来なり、如来はすなわちこれ無為なり、無為はすなわちこれ常なり、常はすなわちこれ法なり、法はすなわちこれ僧なり、僧すなわち無為なり、無為はすなわちこれ常なり。乃至 善男子、譬えば牛より乳を出だす、乳より酪を出だす、酪より生蘇を出だす、生蘇より熟蘇を出だす、熟蘇より醍醐を出だす、醍醐最上なり。もし服することある者は、衆病みな除こる。所有のもろもろの薬、ことごとくその中に入るがごとし。善男子、仏もまたかくのごとし。仏