巻次 真仏土 307頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 て父母と言うがごとし。涅槃もまたしかなり。世俗に随うがゆえに、説きて諸仏有にして大涅槃なりと言えり。二つには業清浄のゆえに。一切凡夫の業は、不清浄のゆえに涅槃なし。諸仏如来は業清浄のゆえに、かるがゆえに大浄と名づく。大浄をもってのゆえに大涅槃と名づく。三つには身清浄のゆえに。身もし無常なるを、すなわち不浄と名づく。如来の身は常なるがゆえに大浄と名づく。大浄をもってのゆえに大涅槃と名づく。四つには心清浄のゆえに。心もし有漏なるを名づけて不浄と曰う。仏心は無漏なるがゆえに大浄と名づく。大浄をもってのゆえに大涅槃と名づく。善男子、これを善男子・善女人と名づく、と。抄出 また言わく、善男子、諸仏如来は煩悩起こらず、これを涅槃と名づく。所有の智慧、法において無碍なり、これを如来とす。如来はこれ凡夫・声聞・縁覚・菩薩にあらず、これを仏性と名づく。如来は身心智慧、無量無辺阿僧祇の土に遍満したまうに、障碍するところなし、これを虚空と名づく。如来は常住にして変易あることなければ、名づけて実相と曰う。この義をもってのゆえに、如来は実に畢竟涅槃にあらざる、これを菩薩と名づく、と。已上 (迦葉品)また言わく、迦葉菩薩言わく、「世尊、仏性は常なり、なお虚空のごとし。なにがゆえぞ、如来説きて未来と言うやと。如来、もし一闡提の輩善法なしと言わば、一闡提の輩、それ同学・同師・父母・親族・妻子において、あに当に愛念の心を生ぜざるべきや。もしそれ生ぜば、これ善にあらずや」と。仏の言わく、「善いかな、善いかな、善男子、快くこの問を発せり。仏性はなお虚空のごとし。過去にあらず、未来にあらず、現在にあらず。一切衆生に三種の身あり、いわゆる過去・未来・現在なり。衆生、未来に清浄の身を 紙面画像を印刷 前のページ p307 次のページ 第二版p354・355へ このページの先頭に戻る