巻次
真仏土
354頁
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身は金剛にして壊無し。煩悩の身・無常の身に非ず。故に「大楽」と名づく。大楽を以ての故に「大涅槃」と名づく。」已上
 又言わく(徳王菩薩品)、「不可称量・不可思議なるが故に名づけて「大般涅槃」とすることを得。純浄を以ての故に「大涅槃」と名づく。云何が純浄なる。浄に四種有り。何等をか四とする。一には二十五有、名づけて「不浄」とす。能く永く断ずるが故に名づけて「浄」とすることを得。浄即ち涅槃なり。是くの如きの涅槃、亦「有にして是れ涅槃」と名づくることを得。実に是れ有に非ず。諸仏如来、世俗に随うが故に「涅槃有なり」と説きたまえり。譬えば世人の、父に非ざるを「父」と言い、母に非ざるを「母」と言う。実に父母に非ずして「父母」と言うが如し。涅槃も亦爾なり。世俗に随うが故に、説きて「諸仏、有にして大涅槃なり」と言えり。
 二には業清浄の故に。一切凡夫の業は不清浄の故に涅槃無し。諸仏如来は業清浄の故に、故に「大浄」と名づく。大浄を以ての故に「大涅槃」と名づく。
 三には身清浄の故に。身、若し無常なるを、則ち「不浄」と名づく。如来の身は常なるが故に「大浄」と名づく。大浄を以ての故に「大涅槃」と名づく。
 四には心清浄の故に。心、若し有漏なるを、名づけて「不浄」と曰う。仏心は無漏なるが故に「大浄」と名づく。大浄を以ての故に、「大涅槃」と名づく。善男子。是れを「善男子・善女人」と名づく」と。抄出