巻次
真仏土
355頁
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 又言わく(徳王菩薩品)、「善男子。諸仏如来は煩悩起こらず。是れを「涅槃」と名づく。所有の智慧、法に於いて無碍なり。是れを如来とす。如来は、是れ凡夫・声聞・縁覚・菩薩に非ず。是れを「仏性」と名づく。如来は、身心智慧、無量無辺阿僧祇の土に遍満したまうに、障碍する所無し。是れを「虚空」と名づく。如来は常住にして変易有ること無ければ、名づけて「実相」と曰う。是の義を以ての故に、如来は実に畢竟涅槃に不ざる、是れを「菩薩」と名づく」と。已上
 又言わく(迦葉菩薩品)、「迦葉菩薩言わく、「世尊。仏性は常なり。猶虚空の如し。何故ぞ、如来、説きて「未来」と言うやと。如来、若し「一闡提の輩、善法無し」と言わば、一闡提の輩、其れ同学・同師・父母・親族・妻子に於いて、豈に当に愛念の心を生ぜざるべきや。如し其れ生ぜば、是れ善に非ずや」と。
 仏の言わく、「善いかな、善いかな、善男子。快く斯の問を発せり。仏性は猶虚空の如し。過去に非ず、未来に非ず、現在に非ず。一切衆生、三種の身有り。謂わゆる過去・未来・現在なり。衆生、未来に荘厳清浄の身を具足して仏性を見ることを得ん。是の故に我、「仏性未来」と言えりと。善男子。或いは衆生の為に、或る時は因を説きて果とす。或る時は果を説きて因とす。是の故に経の中に命を説きて「食」とす。色を見て「触」と名づく。未来の身浄なるが故に「仏