巻次 化本 361頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 に増せず。かるがゆえに彼によらず。また『涅槃経』に、「末法の中において、十二万の大菩薩衆ましまして、法を持ちて滅せず」と。これは上位に拠るがゆえにまた用いず。問う。もししからば、千五百年の内の行事いかんぞや。答う。『大術経』(摩訶摩耶経)に依るに、「仏涅槃の後の初めの五百年には、大迦葉等の七賢聖僧、次第に正法を持ちて滅せず。五百年の後、正法滅尽せんと。六百年に至りて後、九十五種の外道競い起こらん。馬鳴、世に出でて、もろもろの外道を伏せん。七百年の中に、龍樹、世に出でて邪見の幢を摧かん。八百年において、比丘縦逸にして、わずかに一・二、道果を得るものあらん。九百年に至りて、奴を比丘とし、婢を尼とせん。一千年の中に、不浄観を聞かん、瞋恚して欲せじ。千一百年に僧尼嫁娶せん、僧毘尼を毀謗せん。千二百年に、もろもろの僧尼等、ともに子息あらん。千三百年に、袈裟変じて白からん。千四百年に、四部の弟子、みな猟師のごとし、三宝物を売らん。ここに曰わく、千五百年に〓【ku_a】睒弥国に二の僧ありて、たがいに是非を起こして遂に殺害せん、仍って教法龍宮に蔵まるなり。」『涅槃』の十八、および『仁王』(第八)等にまたこの文あり。これらの経文に準ずるに、千五百年の後、戒・定・慧あることなきなり。かるがゆえに『大集経』の五十一(巻五五)に言わく、「我が滅度の後、初めの五百年には、もろもろの比丘等、我が正法において解脱堅固ならん、 初めに聖果を得、名づけて解脱とす。 次の五百年には禅定堅固ならん。次の五百年には多聞堅固ならん。次の五百年には造寺堅固ならん。後の五百年には闘諍堅固ならん。白法隠没せん」と云云。この意、初めの三分の五百年は、次いでのごとく戒定慧の三法堅固に住することを得ん。すなわち上に引くところの正法五百年、像法一千の二時これなり。造寺已後は並びにこれ末法なり。かるがゆえに基、『般若会釈』(金剛 紙面画像を印刷 前のページ p361 次のページ 第二版p424・425へ このページの先頭に戻る