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らず、後五の機、慧悟、又異なり。豈に一途に拠りて済わんや、一理に就いて整さんや。故に正・像・末の旨際を詳らかにして、試みに破持僧の事を彰さん。中に於いて三有り。初めには正・像・末を決す。次に破持僧の事を定む。後に教を挙げて比例す。
 初めに正・像・末を決するに、諸説を出だすこと同じからず。且く一説を述せん。
 大乗基(慈恩・弥勒上生経疏)に『賢劫経』を引きて言わく、「仏涅槃の後、正法五百年、像法一千年ならん。此の千五百年の後、釈迦の法、滅尽せん」と。末法を言わず。余の所説に准うるに、尼、八敬に順わずして懈怠なるが故に、法、更増せず。故に彼に依らず。
 又『涅槃経』に、「末法の中に於いて十二万の大菩薩衆有して、法を持ちて滅せず」と。此れは上位に拠るが故に亦同じからず。
 問う。若し爾らば千五百年の内の行事、云何ぞや。
 答う。『大術経』(摩訶摩耶経)に依るに、「仏涅槃の後の初めの五百年には、大迦葉等の七賢聖僧、次第に正法を持ちて滅せず。五百年の後、正法滅尽せんと。六百年に至りて後、九十五種の外道、競い起こらん。馬鳴、世に出で諸の外道を伏せん。七百年の中に、龍樹、世に出で邪見の幢を摧かん。八百年に於いて、比丘、縦逸にして、僅かに一二、道果を得るもの有らん。九百年に至りて、奴を比丘とし、婢を尼とせん。一千年の中に、不浄観を開かん。瞋恚して欲せじ。千一百年に、僧尼嫁娶せん。僧毘尼を毀謗せん。千二百年に、諸僧尼等、倶に子息有らん。千三