巻次 化末 391頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 ず、と。乃至 内の十喩、答す、外の十異 外は生より左右異なる一。内は生より勝劣あり。内に喩して曰わく、左袵はすなわち戎狄の尊むところ、右命は中華の尚むところとす。かるがゆえに『春秋』に云わく、「冢郷は命なし、介郷はこれあり、また左ならずや。」『史記』に云わく、「藺相如は、功大きにして、位、廉頗が右にあり、これを恥ず。」また云わく、「張儀相、秦を右にして魏を左にす。犀首相、韓を右にして魏を左にす。」蓋に云わく、便ならずや。『礼』に云わく、「左道乱群をば、これを殺す。」あに右は優りて左は劣れるにあらずや。皇甫謐が『高士伝』に云わく、「老子は楚の相人、過水の陰に家す。事を常従子に押し。常子疾あるに及びて、李耳往きて疾を問う。」ここに嵇康の云わく、「李耳、涓子に従いて九仙の術を学ぶ。」太史公らの衆書を検するに、「老子、左腋を剖いて生まる」と云わず。すでに正しく出でたることなし。承信すべからざること明らけし。験らかに知りぬ。戈を揮い翰を操れば、けだし文武の先、五気・三光は、まことに陰陽の首なり。ここをもって釈門には、右に転ずること、また人用を快しくす。張陵左道にす、信に天の常に逆う。いかんとなれば、釈迦、無縁の慈を超えて、有機の召に応ず、その迹を語るなり。乃至 それ釈氏は、天上天下に介然として、その尊に居す。三界六道、卓爾としてその妙を推す。乃至 外論に曰わく、老君、範と作す。ただ孝、ただ忠、世を救い人を度す、慈を極め愛を極む。ここをもって声教永く伝え、百王改まらず、玄風長く被らしめて、万古差うことなし。このゆえに国を治め家を治むるに、常 紙面画像を印刷 前のページ p391 次のページ 第二版p462~464へ このページの先頭に戻る