巻次 化末 390頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 外の六異に曰わく、老君は世に降して、始め周文の日より、孔丘の時に訖れり。釈迦は肇めて浄飯の家に下生して、我が荘王の世に当れり。 内の六喩に曰わく、迦葉は、桓王丁卯の歳に生まれて、景王壬午の年に終う。孔丘の時に訖るといえども、姫昌の世に出でず。調御は、昭王甲寅の年に誕じて、穆王壬申の歳に終う。これ浄飯の胤たり。本荘王の前に出でたまえり。 開士曰わく、孔子、周に至りて老聃を見て、礼を問う。ここに『史記』に具に顕る。文王の師たること、すなわち典証なし。周の末に出でたり。その事、周の初めに尋ぬべし。史文に載せず。乃至 外の七異に曰わく、老君、初めて周の代に生まれて、晩に流沙に適く。始終を測らず、方所を知ることなし。釈迦は西国に生まれて、かの提河に終わりぬ。弟子、胸を搥ち、群胡大きに叫ぶ。 内の七喩に曰わく、老子は頼郷に生まれて、槐里に葬らる。秦佚の弔に詳らかにす。責、遁天の形にあり。瞿曇はかの王宮に出でて、この鵠樹に隠れたまう。漢明の世に伝わりて、秘かに蘭台の書にまします。 開士曰わく、『荘子』内篇に云わく、「老聃死して、秦佚弔う。ここに三たび号んで出ず。弟子、怪しんで問う、夫子の徒にあらざるか。秦佚曰わく、向に吾入りて少き者を見るに、これを哭す、その父を哭するがごとく、老者これを哭す、その子を哭するがごとし。古はこれを遁天の形と謂う。始めはおもえらく、その人なりと。しかるに今非なり。」遁は隠なり、天は免縛なり、形は身なり。言うこころは、始め老子をもって免縛形の仙とす、今すなわち非なり。ああ、その諂れる典、人の情を取る。故に死を免れず。我が友にあら 紙面画像を印刷 前のページ p390 次のページ 第二版p461・462へ このページの先頭に戻る