巻次
化末
389頁
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 開士の曰わく、慮景裕・戴詵・韋処玄等が『解五千文』、および梁の元帝・周弘政等が『考義類』を案ずるに云わく、「太上に四つあり。いわく、三皇および堯舜これなり。」言うこころは、上古にこの大徳の君あり、万民の上に臨めり。かるがゆえに太上と云うなり。郭荘云わく、「時にこれを賢とするところの者を君とす。材、世に称せられざる者を臣とす。」老子、帝にあらず、皇にあらず、四種の限にあらず、何の典拠ありてか、たやすく太上と称するや。道家が『玄妙』および『中胎』・『朱韜』・『王礼』等の経、ならびに『出塞記』を検うるに、云わく、「老はこれ李母が生めるところ」、「玄妙玉女あり」と云わず。すでに正説にあらず。もっとも仮の謬談なり。『仙人玉録』に云わく、仙人は妻なし、玉女は夫なし。女形を受けたりといえども、ついに産せず。もしこの瑞あるは、誠に嘉とすべし、と曰う。いずれぞせん、『史記』にも文なし、『周書』に載せず。虚を求めて実を責めば、矯盲の者の言を信ずるのみと。『礼』に云わく、「官を退きて位なきは左遷す。」『論語』に云わく、「左袵は礼にあらざるなり。」もし左をもって右に勝るとせんは、道士行道するに、何ぞ左に旋らずして右に還りて転るや。国の詔書にみな云わく、「右のごとし。」並びに、天の常に順うなり。乃至
 外の四異に曰わく、老君は文王の日、隆周の宗師たり。釈迦は荘王の時、罽賓の教主たり。
 内の四喩に曰わく、伯楊は、職、小臣に処り、忝く蔵吏に充れり。文王の日にあらず。また隆周の師にあらず。牟尼は、位、太子に居して、身、特尊を証したまえり。昭王の盛年に当れり。閻浮の教主たり、と。乃至