巻次 化末 460頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 外の一異に曰わく、「太子老君は、神を玄妙玉女に託して、左腋を割きて生まれたり。釈迦牟尼は、胎を摩耶夫人に寄せて、右脇を開いて出でたり」と。乃至 内の一喩に曰わく、「老君は常に逆い、牧女に託きて左より出ず。世尊は化に順いて、聖母に因りて右より出でたまう」と。 開士の曰わく、「慮景裕・戴詵・韋処玄等が『解五千文』、及び梁元帝・周弘政等が『老義類』を案ずるに云わく、「太上に四有り。謂わく、三皇及び尭舜、是れなり。」言うこころは、上古に此の大徳の君有り。万民の上に臨めり。故に「太上」と云うなり。郭荘云わく、「時に之を賢とする所の者を君とす。材、世に称せられざる者を臣とす。」老子、帝に非ず、皇に非ず。四種の限に在らず。何れの典拠有りてか、輒く「太上」と称するや。道家が『玄妙』、及び『中胎』・『朱韜王礼』等の経、幷びに『出塞記』を撿うるに云わく、「老は是れ李母が生ずる所、玄妙玉女有り」と云わず。既に正説に非ず。尤も仮の謬談なり。『仙人玉録』に云わく、「仙人は妻無し。玉女は夫無し。女形を受けたりと雖も畢竟に産せず。」若し茲の瑞有らば誠に嘉とすべしと曰う。何れぞせん、『史記』にも文無し、『周書』に載せず。虚を求めて実を責めば、矯盲の者の言を信ずるならくのみと。『礼』に云わく、「官を退きて位無きは左遷す。」『論語』に云わく、「左袵は礼に非ざるなり。」若し左を以て右に勝るとせんは、道上行道するに、何ぞ左に旋らずして、右に還りて転るや。国の詔書に皆云わく、「右の如し。」並びに天の常に順うなり。」乃至 紙面画像を印刷 前のページ p460 次のページ 初版p388・389へ このページの先頭に戻る