巻次
化末
462頁
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こと則ち典証無し。周末に出でたり。其の事、周の初めに尋ぬべし。史文に載せず。」乃至
 外の七異に曰わく、「老君、初めて周の代に生まれて、晩に流沙に適く。始終を測らず、方所を知ること莫し。釈迦は、西国に生まれ、彼の提河に終りぬ。弟子、胸を捉ち、群胡、大きに叫ぶ。」
 内の七喩に曰わく、「老子は頼郷に生まれて槐里に葬らる。秦佚の弔に詳らかんず。責、遁天の形に在り。瞿曇は彼の王宮に出で慈鵠樹に隠れたまう。漢明の世に伝わりて秘かに蘭台の書に在す。」
 開士曰わく、「『荘子』「内篇」に云わく、「老耼死して、秦佚弔う。焉に三たび号んで出ず。弟子、怪しんで問う、「夫子の徒に非ざるか。」秦佚曰わく、「向に吾入りて少者を見るに、之を哭す。其の父を哭するが如く、老者、之を哭す。其の子を哭するが如し。」」古は、之を「遁天の形」と謂う。始めは以為えらく、其の人なり。而るに今、非なり。「遁」は隠なり。「天」は免縛なり。「形」は身なり。言うこころは、始め老子を以て免縛形の仙とす。今則ち非なり。嗟、其の諂れる典、人の情を取る。故らに死を免れず。我が友に非ず」と。乃至
 内の十喩。答す、外の十異。外、生より左右の異、一。内、生より勝劣有り。
 内喩して曰わく、「左袵は則ち戎狄の尊む所、右命は中華の尚む所とす。故に『春秋』に云わく、「冢郷は命無し。介郷は之有り。亦左ならずや。」『史記』に云わく、「藺相如は、功大きにして、位、麁頗が右に在り。之を恥ず。」又云わく、「張儀相、秦を右にして魏を左にす。犀