巻次
化末
393頁
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言を立てて 『空寂所問経』に云わく、迦葉を老子とす、儒童を孔子とす、光浄を顔回とするなり、 已澆の末を興す。玄虚沖一の旨、黄・老その談を盛りにす。詩書礼楽の文、周・孔その教を隆くす。謙を明らかにし、質を守る、すなわち聖に登るにこれ階梯なり。三畏・五常は人天の由漸とす。けだし冥に仏理に符う、正弁極談にあらずや。なお道を瘖聾に訪うに、方を麾いて遠邇を窮むることなかれ。津を兎馬に問う、済るを知りて浅深を測らず。これに因って談ずるに、殷・周の世は釈教の宜しく行するべきところにあらざるなり。なお炎威耀を赫かす、童子、目を正しくして視ることあたわず。迅雷奮い撃つ、懦夫、耳を張りて聴くことあたわず。ここをもって河池涌き浮かぶ、昭王、神を誕ずることを懼る。雲霓色を変じ、穆后、聖を亡わんことを欣ぶ。 『周書異記』に云わく、昭王二十四年四月八日、江河泉水ことごとく泛漲せり。穆王五十二年二月十五日、暴風起ちて樹木折れ、天陰り雲黒し、白虹の怪あり。 あによく葱河を越えて化を禀け、雪嶺を踰えて誠を効さんや。『浄名』(維摩経)に云わく、「これ盲者の過なり、日月の咎にあらず。」たまたまその鑿竅の弁を窮めんと欲う、恐らくは、吾が子混沌の性を傷む。それ知るところにあらず、その盲、一なり。
 内には像塔を建造す、指る二。漢明より已下、斉・梁、王・公・守牧、清信士・女、および比丘・比丘尼等に訖う。冥に至聖を感じ、国に神光を覩る者、おおよそ二百余人。迹を万山に見、耀を滬瀆に浮かべ、清台の下に満月の容を覩、雍門の外に相輪の影を観るがごときに至りては、南平は応を瑞像に獲、文宣は夢を聖牙に感ず。蕭后一たび鋳て剋成し、宗皇四たび摸して就らず。その例、はなはだ衆し、具に陳ぶべからず。あに爾が無目をもって、かの有霊を斥わんや。しかるに徳として備わらざるものなし、これを謂いて「涅槃」とす。