巻次
456頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
漢文
画像情報
画像情報
本文

「直」の言は、回に対し迂に対するなり。また「直」の言は方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰するなり、諸仏出世の直説を顕さしめんと欲してなり。
「来」の言は、去に対し往に対するなり。また報土に還来せしめんと欲してなり。
「我」の言は、尽十方無碍光如来なり、不可思議光仏なり。
「能」の言は、不堪に対するなり、疑心の人なり。
「護」の言は、阿弥陀仏果成の正意を顕すなり、また摂取不捨を形すの貌なり、すなわちこれ現生護念なり。

「念道」の言は、他力白道を念ぜよとなり。
「慶楽」とは、「慶」の言は印可の言なり、獲得の言なり、「楽」の言は悦喜の言なり、歓喜踊躍なり。
「仰ぎて釈迦発遣して指えて西方に向かえたまうことを蒙る」というは、順なり。
「また弥陀の悲心招喚したまうに藉る」というは、信なり。
「いま二尊の意に信順して水火二河を顧みず、念念に遺るる

漢文

捨方便仮門帰如来大願他力、欲使顕諸仏出世之直説也。「来」言対去対往也、又欲令還来報土也。「我」言尽十方無碍光如来也、不可思議光仏也。「能」言対不堪也、疑心之人也。「護」言顕阿弥陀仏果成之正意也、亦形摂取不捨之貌也、則是現生護念也

「念道」言念他力白道也。「慶楽」者「慶」言印可之言也、獲得之言也、「楽」言悦喜之言也、歓喜踊躍也。「仰蒙釈迦発遣指向西方」者順也。「又藉弥陀悲心招喚」者、信也。「今信順二尊之意不顧水火二河念念無遺乗彼願力之道」