巻次 - 559頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 てるゆえに、十念南無阿弥陀仏ととなうべしと、すすめたまえる御のりなり。一念にと八十億劫のつみをけすまじきにはあらねども、五逆のつみのおもきほどをしらせんがためなり。「十念」というは、ただくちに十返をとなうべしとなり。しかれば、選択本願には、「若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚」(往生礼讃)ともうすは、弥陀の本願は、とこえまでの衆生、みな往生すとしらせんとおぼして、十声とのたまえるなり。念と声とは、ひとつこころなりとしるべしとなり。念をはなれたる声なし。声をはなれたる念なしとなり。この文どものこころは、おもうほどはもうさず。よからんひとにたずぬべし。ふかきことは、これにてもおしはかりたまうべし。南無阿弥陀仏 いなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき愚痴きわまりなきゆえに、やすくこころえさせんとて、おなじことを、たびたびとりかえしとりかえし、かきつけたり。こころあらんひとは、おかしくおもうべし。あざけりをなすべし。しかれども、おおかたのそしりをかえりみず、ひとすじに、おろかなるものを、こころえやすからんとて、しるせるなり。康元二歳正月二十七日 愚禿親鸞 八十五歳 書写之 紙面画像を印刷 前のページ p559 次のページ 第二版p685・686へ このページの先頭に戻る