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てるゆえに、十念南無阿弥陀仏ととなうべしと、すすめたまえる御のりなり。一念にと八十億劫のつみをけすまじきにはあらねども、五逆のつみのおもきほどをしらせんがためなり。「十念」というは、ただくちに十返をとなうべしとなり。しかれば、選択本願には、「若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚」(往生礼讃)ともうすは、弥陀の本願は、とこえまでの衆生、みな往生すとしらせんとおぼして、十声とのたまえるなり。念と声とは、ひとつこころなりとしるべしとなり。念をはなれたる声なし。声をはなれたる念なしとなり。この文どものこころは、おもうほどはもうさず。よからんひとにたずぬべし。ふかきことは、これにてもおしはかりたまうべし。

南無阿弥陀仏

 いなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき愚痴きわまりなきゆえに、やすくこころえさせんとて、おなじことを、たびたびとりかえしとりかえし、かきつけたり。こころあらんひとは、おかしくおもうべし。あざけりをなすべし。しかれども、おおかたのそしりをかえりみず、ひとすじに、おろかなるものを、こころえやすからんとて、しるせるなり。

康元二歳正月二十七日  愚禿親鸞 八十五歳 書写之