巻次 - 585頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 十月十日一の㋺追申上候 念仏申し候う人々の中に、南無阿弥陀仏ととなえ候うひまには、無碍光如来ととなえまいらせ候う人も候う。これをききて、ある人の申し候うなる、「南無阿弥陀仏ととなえてのうえに、きみょう尽十方無碍光如来と、となえまいらせんことは、おそれある事にてこそあれ。いまめかわしく」と申し候うなる、このよういかが候うべき。一の㋩ 「南無阿弥陀仏をとなえてのうえに無碍光仏と申さんは、あしき事なり」と候うなるこそ、きわまれる御ひがごとときこえ候え。帰命は南無なり。無碍光仏は光明なり、智慧なり。この智慧はすなわち阿弥陀仏。阿弥陀仏の御かたちをしらせ給わねば、その御かたちをたしかにたしかにしらせまいらせんとて、世親菩薩御ちからをつくしてあらわし給えるなり。このほかのことは、しょうしょうもじをなおして、まいらせ候うなり。(蓮位添状)一 この御文のよう、くわしくもうしあげて候う。「すべて、この御ふみのよう、違わず候う」と、仰せ候うなり。ただし、「一念するに往生定まりて、誓願不思議とこころえ候う」と、おおせ候うをぞ、「よきようには候えども、一念にとどまるところ、あしく候う」とて、御ふみのそばに、御自筆をもって、あしく候うよしを、いれさせおわしまして候う。 紙面画像を印刷 前のページ p585 次のページ 第二版p715・716へ このページの先頭に戻る