巻次 - 715頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 なげかれ候いて、わざといかにしても、まかりのぼりて、こころしずかに、せめては五日、御所に候わばやとねがい候うなり。あ〔噫〕、こうまで申し候うも御恩のちからなり。 進上、聖人の御所へ 蓮位御房申させ給え。十月十日 慶信上(慶信花押)(一)の㋺(慶信追伸)追って申し上げ候う。 念仏申し候う人々の中に、南無阿弥陀仏ととなえ候うひまには、無碍光如来ととなえまいらせ候う人も候う。これをききて、ある人の申し候うなる、「南無阿弥陀仏ととなえてのうえに、きみょう尽十方無碍光如来と、となえまいらせ候うことは、おそれある事にてこそあれ。いまめがわしく」と申し候うなる、このよういかが候うべき。(一)の㋩(宗祖返書) 「南無阿弥陀仏をとなえてのうえに無碍光仏と申さんは、あしき事なり」と候うなるこそ、きわまれる御ひがごとときこえ候え。帰命は南無なり。無碍光仏は光明なり、智慧なり。この智慧はすなわち阿弥陀仏。阿弥陀仏の御かたちをしらせ給わねば、その御かたちを、たしかにたしかにしらせまいらせんとて、世親菩薩、御ちからをつくしてあらわし給えるなり。このほかのことは、しょうしょうもじをなおして、まいらせ候う。 紙面画像を印刷 前のページ p715 次のページ 初版p584・585へ このページの先頭に戻る