巻次
-
716頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

(一)の㋥(蓮位添状)

一 この御ふみのよう、くわしくもうしあげて候う。「すべて、この御ふみのよう、たがわず候う」と、仰せ候うなり。ただし、「一念するに往生さだまりて、誓願不思議とこころえ候う」と、おおせ候うをぞ、「よきようには候えども、一念にとどまるところ、あしく候う」とて、御ふみのそばに、御自筆をもって、あしく候うよしを、いれさせおわしまして候う。蓮位に、「かくいれよ」と、おおせをかぶりて候えども、御自筆は、つよき証拠におぼしめされ候いぬと、おぼえ候うあいだ、おりふし、御がいびょうにて御わずらいにわたらせたまい候えども、もうして候うなり。また、のぼりて候いし人々、「くにに論じもうす」とて、あるいは、「「弥勒とひとし」ともうし候う人々候う」よしを、もうし候いしかば、しるしおおせられて候うふみの候う。しるしてまいらせ候うなり。御覧あるべく候う。
 また、「弥勒とひとし」と候うは、弥勒は等覚の分なり。これは因位の分なり。これは十四・十五の月の円満したまうが、すでに八日・九日の、月のいまだ円満したまわぬほどをもうし候うなり。これは自力修行のようなり。われらは信心決定の凡夫、くらい、正定聚のくらいなり。これは因位なり。これ等覚の分なり。かれは自力なり、これは他力なり。自他のかわりこそ候えども、因位のくらいはひとしというなり。また弥勒の妙覚のさとりはおそく、われらが滅度にいたることはとく候わんずるなり。かれは五十六億七千万歳のあかつきを期し、これはちくまくを