巻次 - 601頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 ことは、この定心・散心の行者のいうことなり。選択本願は、有念にあらず、無念にあらず。有念はすなわち、いろかたちをおもうについていうことなり。無念というは、形をこころにかけず、いろをこころにおもわずして、念もなきをいうなり。これみな聖道のおしえなり。聖道というは、すでに仏になりたまえるひとの、われらがこころをすすめんがために、仏心宗・真言宗・法華宗・華厳宗・三論宗等の大乗至極の教なり。仏心宗というは、この世にひろまる禅宗これなり。また、法相宗・成実宗・倶舎宗等の権教、小乗等の教なり。これみな聖道門なり。権教というはすなわち、すでに仏になりたまえる仏・菩薩の、かりにさまざまのかたちをあらわしてすすめたまうがゆえに、権というなり。浄土宗にまた、有念あり、無念あり。有念は散善義、無念は定善義なり。浄土の無念は、聖道の無念にはにず。また、この聖道の無念のなかに、また有念あり。よくよくとうべし。浄土宗のなかに、真あり仮あり。真というは、選択本願なり。仮というは、定散二善なり。選択本願は浄土真宗なり。定散二善は方便仮門なり。浄土真宗は大乗のなかの至極なり。方便仮門のなかにまた大小権実の教あり。釈迦如来の、御善知識者、一百一十人なり。『華厳経』にみえたり。南無阿弥陀仏建長三歳 辛亥 閏九月廿日 愚禿親鸞 七十九歳(二) かさまの念仏者のうたがいとわるること―――「血脈文集」第一通と同じ。(三) 信心をえたるひとは必ず正定聚のくらいに住する―――「御消息集(善性本)」第五通と同じ。(四) これは経の文なり。『華厳経』にのたまわく―――「御消息集(善性本)」第六通に同じ。 紙面画像を印刷 前のページ p601 次のページ 第二版p736・737へ このページの先頭に戻る