巻次 - 609頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 十一月廿六日 親鸞随信御房(一九) 御ふみたびたび―――「御消息集(広本)」第三通に同じ。 この明教房ののぼられて―――「御消息集(広本)」第二通に同じ。 善知識をおろかに―――「御消息集(広本)」第四通に同じ。(二〇) 方々よりの御こころざしのものどもかずのままに―――「御消息集(広本)」第一通に同じ。(二一) 安楽浄土にいりはつればすなわち大涅槃をさとるとも―――「御消息集(善性本)」第二通㋩に同じ。(二二) 『宝号経』にのたまわく、弥陀の本願は行にあらず、善にあらず、ただ仏名をたもつなり。名号はこれ、善なり、行なり。行というは、善をするについていうことばなり。本願はもとより仏の御約束とこころえぬるには、善にあらず、行にあらざるなり。かるがゆえに、他力ともうすなり。本願の名号は能生する因なり。能生の因というは、すなわちこれ父なり。大悲の光明はこれ所生の縁なり。所生の縁というは、すなわちこれ母なり。康永元歳 壬子 七月十二日終書写筆功遂校合労見訖。凡斯御消息者念仏成仏之咽喉、愚痴愚迷之眼目也。可秘可秘而已執筆釈乗専 紙面画像を印刷 前のページ p609 次のページ 第二版p745へ このページの先頭に戻る