巻次 - 612頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 の女房のこれへきたりてもうすこと、じしんぼうがとうたるふみとて、もちてきたれるふみ、これにおきてそうろうめり。慈信房がふみとてこれにあり。そのふみ、つやつやいろわぬことゆえに、ままははにいいまどわされたるとかかれたること、ことにあさましきことなり。よにありけるを、ままははのあまのいいまどわせりということ、あさましきそらごとなり。また、この世にいかにしてありけりともしらぬことを、みぶのにょうぼうのもとへも、ふみのあること、こころもおよばぬほどのそらごと、こころうきことなりと、なげきそうろう。まことにかかるそらごとどもをいいて、六波羅のへん・かまくらなんどにひろうせられたること、こころうきことなり。これらほどのそらごとは、このよのことなれば、いかでもあるべし。それだにも、そらごとをいうこと、うたてきなり。いかにいわんや、往生極楽の大事をいいまどわして、ひたち・しもつけの念仏者をまどわし、おやにそらごとをいいつけたること、こころうきことなり。第十八の本願をば、しぼめるはなにたとえて、人ごとにみなすてまいらせたりときこゆること、まことにほうぼうのとが、また五逆のつみをこのみて、人をそんじまどわさるること、かなしきことなり。ことに、破僧罪ともうすつみは、五逆のその一なり。親鸞にそらごとをもうしつけたるは、ちちをころすなり。五逆のその一なり。このことども、つたえきくこと、あさましさ、もうすかぎりなければ、いまは、おやということあるべからず、ことおもうことおもいきりたり。三宝・神明にもうしきりおわりぬ。かなしきことなり。わがほうもんににずとて、ひたちの念仏者みなまどわさんとこのまるるときくこそ、こころうくそうらえ。しんらんがおしえにて、ひたちの念仏もうす人々をそんぜよと、慈信房におしえたるとかまくらまできこえんこと、あさましあさまし。 紙面画像を印刷 前のページ p612 次のページ 第二版p749・750へ このページの先頭に戻る