巻次 - 611頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 うべく候えば、申すにおよばず候う。かくねんぼうのおおせられて候うよう、すこしも愚老にかわらずおわしまし候えば、かならずかならず一ところへまいりあうべく候う。明年の十月のころまでも、いきて候わば、このよの面謁うたがいなく候うべし。入道殿の御こころも、すこしもかわらせ給わず候えば、さきだちまいらせても、まちまいらせ候うべし。人々の御こころざし、たしかにたしかにたまわりて候う。なにごともなにごとも、いのちの候うらんほどは申すべく候う。また、おおせをかぶるべく候う。この御ふみみまいらせ候うこそ、ことにあわれに候え。なかなか、申し候うもおろかなるように候う。またまた、追って申し候うべく候う。あなかしこ、あなかしこ。閏十月廿九日 親鸞(花押)たかたの入道殿 御返事(三) おおせられたる事、くわしくききてそうろう。なによりは、あいみんぼうとかやともうすなる人の、京よりふみをえたるとかやともうされそうろうなる、返々ふしぎにそうろう。いまだ、かたちをもみず、ふみ一度もたまわりそうらわず、これよりももうすこともなきに、京よりふみをえたるともうすなる、あさましきことなり。また、慈信房のほうもんのよう、みょうもくをだにもきかず、しらぬことを、慈信一人に、よる親鸞がおしえたるなりと、人に慈信房もうされてそうろうとて、これにも常陸・下野の人々はみな、しんらんがそらごとをもうしたるよしを、もうしあわれてそうらえば、今は父子のぎはあるべからずそうろう。また、母のあまにもふしぎのそらごとをいいつけられたること、もうすかぎりなきこと、あさましうそうろう。みぶ 紙面画像を印刷 前のページ p611 次のページ 第二版p747~749へ このページの先頭に戻る