巻次
-
620頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

むことは止りぬ。さて、臥して四日と申すあか月、今はさてあらんとは申す也」と仰せられて、やがて汗垂りて、よくならせ給いて候いし也。
 『三部経』、げにげにしく、千部読まんと候いし事は、信蓮房の四の年、武蔵の国やらん、上野の国やらん、佐貫と申す所にて、読みはじめて、四五日ばかりありて、思いかえして、読ませ給わで、常陸へはおわしまして候いしなり。信蓮房は未の年三月三日の昼、生まれて候いしかば、今年は五十三やらんとぞおぼえ候う。

弘長三年二月十日     恵信

(六) 御文の中に、先年に、寛喜三年の四月四日より病ませ給いて候いし時の事、書きしるして、文の中に入れて候うに、その時の日記には、四月の十一日のあか月、「経読む事は、今はさてあらん」と、仰せ候いしは、やがて四月の十一日のあか月としるして候いけるに候う。それを数え候うには八日に当り候いけるに候う。四月の四日よりは八日に当り候う也。
(七) もし、便や候うとて、越中へこの文はつかわし候う也。さても、一年、八十と申し候いし年、大事の所労をして候いしにも、八十三の年ぞ、一□とものしりたる人の文どもにも、同じ心に申し候うとて、今年はさる事と思いきりてそうらえば、生きて候う時、卒都婆を建ててみ候わばやとて、五重に候う石の塔を、丈七尺にあつらえて候えば、塔師、造ると申し候えば、いできて候わんに従いて、建ててみばやと思い候えども、昨年の飢饉に、何も、益方のと、これのと、何となく幼きものども、上下数多候うを、殺さじとし候いしほどに、ものも着ずなりて候ううえ、白きものを一も着ず候えば、(以下欠失)……