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ぞ、戯言とかや申す事か」と申せば、「戯言にてもなし。臥して二日と申す日より、『大経』を読む事、ひまもなし。たまたま目をふさげば、経の文字の一字も残らず、きららかに、つぶさに見ゆる也。さて、これこそ心得ぬ事なれ。念仏の信心より外には、何事か心にかかるべきと思いて、よくよく案じてみれば、この十七、八年がそのかみ、げにげにしく『三部経』を千部読みて、衆生利益のためにとて、読みはじめてありしを、これは何事ぞ、「自信教人信、難中転更難」(往生礼讃)とて、みずから信じ、人をおしえて信ぜしむる事、まことの仏恩を報いたてまつるものと信じながら、名号の外には、何事の不足にて、必ず経を読まんとするやと思いかえして、読まざりしことの、さればなおも少し残るところのありけるや。人の執心、自力の心は、よくよく思慮あるべしと思いなして後は、経読むことは止まりぬ。さて、臥して四日と申すあか月、今はさてあらんとは申す也」と仰せられて、やがて汗垂りて、よくならせ給いて候いし也。
 『三部経』、げにげにしく千部読まんと候いし事は、信蓮房の四の歳、武蔵の国やらん、上野の国やらん、佐貫と申す所にて、読みはじめて、四、五日ばかりありて、思いかえして読ませ給わで、常陸へはおわしまして候いしなり。信蓮房は未の年三月三日の昼、生まれて候いしかば、今年は五十三やらんとぞおぼえ候う。

弘長三年二月十日    恵信

(六) (わかさ殿申させ給え    えしん)