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せ給いて、後世の事、いのり申させ給いける九十五日のあか月の御示現の文なり。御覧候えとて、書き記してまいらせ候う。

(四) この文を書き記してまいらせ候うも、生きさせ給いて候いしほどは、申しても要候わねば、申さず候いしかど、今は、かかる人にてわたらせ給いけりとも、御心ばかりにもおぼしめせとて、記してまいらせ候う也。よく書き候わん人に、よく書かせて、持ちまいらせ給うべし。又、あの御影の一幅、欲しく思いまいらせ候う也。幼く、御身の八にておわしまし候いし年の四月十四日より、風邪大事におわしまし候いし時の事どもを、書き記して候う也。今年は八十二になり候う也。一昨年の霜月より、昨年の五月までは、今や今やと、時日を待ち候いしかども、今日までは死なで、今年の飢渇にや飢え死にもせんずらんとこそおぼえ候え。かようの便に、何もまいらせぬ事こそ、心もとなくおぼえ候えども、ちからなく候う也。益方殿にも、この文を、同じ心に御伝え候え。もの書く事、もの憂く候いて、別に申し候わず。

二月十日

(五) 善信の御房、寛喜三年四月十四日午の時ばかりより、風邪心地すこしおぼえて、その夕さりより臥して、大事におわしますに、腰・膝をも打たせず、天性、看病人をも寄せず、ただ音もせずして臥しておわしませば、御身をさぐれば、あたたかなる事、火のごとし。頭のうたせ給う事もなのめならず。さて、臥して四日と申すあか月、苦しきに、「今はさてあらん」と仰せらるれば、「何事