巻次 - 756頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 で、上人の御事ばかりをば、殿に申して候いしかば、「夢には品別数多ある中に、これぞ実夢にてある。上人をば、所々に勢至菩薩の化身と夢にも見まいらする事数多ありと申すうえ、勢至菩薩は智慧のかぎりにて、しかしながら光にてわたらせ給う」と候いしかども、観音の御事は申さず候いしかども、心ばかりは、その後、うちまかせては思いまいらせず候いしなり。かく御心得候うべし。されば、御臨終はいかにもわたらせ給え、疑い思いまいらせぬうえ、同じ事ながら、益方も御臨終にあいまいらせて候いける、親子の契と申しながら、深くこそおぼえ候えば、うれしく候う、うれしく候う。 又、この国は、昨年の作物、殊に損じ候いて、あさましき事にて、おおかた命生くべしともおぼえず候う中に、所ども変わり候いぬ。一所ならず、益方と申し、又おおかたは頼みて候う人の領ども、みなかように候ううえ、おおかたの世間も損じて候う間、中々、とかく申しやるかたなく候う也。かように候うほどに、年来候いつる奴ばらも、男二人、正月失せ候いぬ。何として、物をも作るべき様も候わねば、いよいよ世間たのみなく候えども、いくほど生くべき身にても候わぬに、世間を心ぐるしく思うべきにも候わねども、身一人にて候わねば、これらが、あるいは親も候わぬ小黒の女房の女子、男子、これに候ううえ、益方が子どもも、ただこれにこそ候えば、何となく、母めきたるようにてこそ候え。いずれも命もありがたきようにこそおぼえ候え。 この文ぞ、殿の比叡の山に堂僧つとめておわしましけるが、山を出でて、六角堂に百日こもら 紙面画像を印刷 前のページ p756 次のページ 初版p617・618へ このページの先頭に戻る