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りて、増上縁とせざるはなしとなり。されば宿善あつきひとは、今生に善をこのみ、悪をおそる、宿悪おもきものは、今生に悪をこのみ、善にうとし。ただ、善悪のふたつをば、過去の因にまかせ、往生の大益をば如来の他力にまかせて、かつて、機のよきあしきに、目をかけて、往生の得否をさだむべからず、となり。これによりて、あるときのおおせにのたまわく、「なんだち念仏するより、なお往生にたやすきみちあり。これをさずくべし」と。「人を千人殺害したらば、やすく往生すべし。おのおの、このおしえにしたがえ。いかん」と。ときにある一人、もうしていわく、「某においては、千人まではおもいよらず、一人たりというとも殺害しつべき心ちせず」と云々 上人かさねてのたまわく、「なんじ、わがおしえを日比そむかざるうえは、いまおしうるところにおいて、さだめてうたがいをなさざるか。しかるに一人なりとも殺害しつべきここちせずというは、過去に、そのたねなきによりてなり。もし過去にそのたねあらば、たとい、殺生罪をおかすべからず、おかさば、すなわち往生をとぐべからずと、いましむというとも、たねにもよおされて、かならず殺罪をつくるべきなり。善悪のふたつ、宿因のはからいとして、現果を感ずるところなり。しかれば、まったく往生においては、善もたすけとならず、悪もさわりとならず、ということ、これをもって准知すべし。」
5一 自力の修善はたくわえがたく、他力の仏智は、護念の益をもってたくわえらるる事。
 たとい万行諸善の法財を修したくわうというとも、進道の資糧となるべからず。ゆえは、六賊知聞して侵奪するがゆえに。念仏においては、すでに行者の善にあらず、行者の行にあらずとら、釈せらるれば、凡夫自力の善にあらず。またう弥陀の仏智なるがゆえに、諸仏護念の益によりて、六賊これをおかすにあたわざる