巻次 - 681頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 むかし役の優婆塞の修験のみちをもっぱらにせし山林斗藪の苦行、樹下・石上の坐臥、これみな一機・一縁の方便、権者・権門の難行なり。身をこの門にいるるともがらこそ、かくのごときの苦行をばもちいげにはんべれ。さらに出離の要路にあらず、ひとえに魔界有縁の僻見なり。浄土の真宗においては、超世希有の正法、諸仏誠証の秘懐、他力即得の直道、凡愚横入の易行なり。しかるに、末世不相応の難行をまじえて、当今相応の他力執持の易行をけがさんこと、総じては三世諸仏の冥応にそむき、別しては釈迦・弥陀二尊の矜哀をわすれたるににたり。おそるべし、はずべしならくのみ。6一 談議かくるとなづけて、同行、知識に鉾楯のとき、あがむるところの本尊・聖教をうばいとりたてまつる、いわれなき事。 右、祖師 親鸞 聖人御在世のむかし、ある御直弟御示誨のむねを領解したてまつらざるあまり、忿結して貴前をしりぞきてすなわち東関に下国のとき、ある常随の一人の御門弟、「この仁にさずけらるるところの聖教の外題に、聖人の御名をのせられたるなり、すみやかにめしかえさるべきをや」と云々 ときに祖師のおおせにいわく、「本尊・聖教は、衆生利益の方便なり、わたくしに凡夫自専すべきにあらず。いかでかたやすく世間の財宝なんどのようにせめかえしたてまつるべきや。釈親鸞という自名のりたるを、法師にくければ袈裟さえの風情に、いかなる山野にもすぐさぬ聖教をすてたてまつるべきにや。たといしかりというとも、親鸞まったくいたむところにあらず、すべからくよろこぶべきにたれり。そのゆえは、かの聖教すてたてまつるところの有情蠢蠢のたぐいにいたるまで、かれにすくわれたてまつりて苦海の沈没をまぬかるべし。ゆめゆめこ 紙面画像を印刷 前のページ p681 次のページ 第二版p829・830へ このページの先頭に戻る