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(4)一 弟子と称して同行等侶を自専のあまり、放言悪口すること、いわれなき事。
 光明寺の大師(善導)の御釈(散善義)には、「もし念仏するひとは、人中の好人なり、妙好人なり、最勝人なり、上上人なり」とのたまえり。しかればそのむねにまかせて、祖師のおおせにも、「それがしは、まったく弟子一人ももたず。そのゆえは、弥陀の本願をたもたしむるほかは、なにごとをおしえてか弟子と号せん。弥陀の本願は仏智他力のさずけたまうところなり。しかればみなともの同行なり。わたくしの弟子にあらず」と云々 これによりて、たがいに仰崇の礼儀をただしくし昵近の芳好をなすべしとなり。その義なくして、あまっさえ悪口をはく条、ことごとく祖師先徳の御遺訓をそむくにあらずや。しるべし。
(5)一 同行を勘発のとき、あるいは寒天に冷水をくみかけ、あるいは炎旱に艾灸をくわうるらのいわれなき事。
 むかし役の優婆塞の修験のみちをもっぱらにせし山林斗藪の苦行、樹下・石上の坐臥、これみな一機・一縁の方便、権者・権門の難行なり。身をこの門にいるるともがらこそ、かくのごときの苦行をばもちいげにはんべれ。さらに出離の要路にあらず。ひとえに魔界有縁の僻見なり。浄土の真宗においては、超世希有の正法、諸仏誠証の秘懐、他力即得の直道、凡愚横入の易行なり。しかるに、末世不相応の難行をまじえて、当今相応の他力執持の易行をけがさんこと、総じては三世諸仏の冥応にそむき、別しては釈迦・弥陀二尊の矜哀をわすれたるににたり。おそるべし、