巻次
-
828頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

ま風聞するところの異様の儀においては、「世間法をばわすれて仏法の義ばかりをさきとすべし」と云々 これによりて世法を放呵するすがたとおぼしくて、裳無衣を着し黒袈裟をもちいるか。はなはだ、しかるべからず。『末法燈明記』 伝教大師諱最澄製作 には、「末法には袈裟変じてしろくなるべし」とみえたり。しかれば、末世相応の袈裟は白色なるべし。黒袈裟においてはおおきにこれにそむけり。当世都鄙に流布して遁世者と号するは、多分、一遍房・他阿弥陀仏等の門人をいうか。かのともがらは、むねと後世者気色をさきとし、仏法者とみえて威儀をひとすがたあらわさんとさだめ、振舞うか。わが大師聖人の御意は、かれにうしろあわせなり。つねの御持言には、「われはこれ賀古の教信沙弥 この沙弥の様、禅林の永観の『十因』(往生拾因)にみえたり の定なり」と云々 しかれば、縡を専修念仏停廃のときの左遷の勅宣によせましまして、御位署には愚禿の字をのせらる。これすなわち、僧にあらず俗にあらざる儀を表して、教信沙弥のごとくなるべしと云々 これによりて、「たとい牛盗とはいわるとも、もしは善人、もしは後世者、もしは仏法者とみゆるように振舞うべからず」とおおせあり。この条、かの裳無衣・黒袈裟をまなぶともがらの意巧に、雲泥懸隔なるものをや。顕密の諸宗・大小乗の教法に、なお超過せる弥陀他力の宗旨を心底にたくわえて、外相にはその徳をかくしまします。大聖権化の救世観音の再誕、本願寺 親鸞 聖人の御門弟と号しながら、うしろあわせに振舞いかえたる後世者気色の威儀をまなぶ条、いかでか祖師の冥慮にあいかなわんや。かえすがえす停止すべきものなり。