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すること、これまたつねのことなり。そのほかは祖師聖人の御遺訓として、たとい念仏修行の号ありというとも、「道俗男女の形体を面々各々に図絵して所持せよ」という御おきて、いまだきかざるところなり。しかるに、いま祖師・先徳のおしえにあらざる自義をもって、諸人の形体を安置の条、これ渇仰のためか、これ恋慕のためか、不審なきにあらざるものなり。本尊なおもて『観経』所説の十三定善の第八の像観よりいでたる丈六八尺随機現の形像をば、祖師あながち御庶幾御依用にあらず。天親論主の礼拝門の論文、すなわち「帰命尽十方無碍光如来」(浄土論)をもって、真宗の御本尊とあがめましましき。いわんや、その余の人形において、あにかきあがめましますべしや。末学自己の義すみやかにこれを停止すべし。
3一 遁世のかたちをこととし、異形をこのみ、裳無衣を着し、黒袈裟をもちいる、しかるべからざる事。
 それ出世の法において五戒と称し、世法にありては五常となづくる仁・義・礼・智・信をまもりて、内心には他力の不思議をたもつべきよし師資相承したてまつるところなり。しかるに、いま風聞するところの異様の儀においては、「世間法をばわすれて仏法の義ばかりをさきとすべし」と云々 これによりて世法を放呵するすがたとおぼしくて、裳無衣を着し黒袈裟をもちいるか、はなはだ、しかるべからず。『末法燈明記』 伝教大師諱最澄製作 には、「末法には袈裟変じてしろくなるべし」とみえたり。しかれば、末世相応の袈裟は白色なるべし、黒袈裟においてはおおきにこれにそむけり。当世都鄙に流布して遁世者と号するは、多分、一遍房・他阿弥陀仏等の門人をいうか。かのともがらは、むねと後世者気色をさきとし、仏法者とみえて威儀をひとすがたあらわさんとさだめ、振舞うか。わが大師聖人の御意は、かれにうしろあわせなり。つねの御持言には、