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っぱら自力をすてて他力に帰するをもって、宗の極致とするうえは、三業のなかには口業をもって他力のむねをのぶるとき、意業の憶念帰命の一念おこれば、身業礼拝のために、渇仰のあまり瞻仰のために、絵像・木像の本尊を、あるいは彫刻し、あるいは画図す。しかのみならず、仏法示誨の恩徳を恋慕し仰崇せんがために、三国伝来の祖師先徳の尊像を図絵し安置すること、これまたつねのことなり。そのほかは祖師聖人の御遺訓として、たとい念仏修行の号ありというとも、「道俗男女の形体を面々各々に図絵して所持せよ」という御おきて、いまだきかざるところなり。しかるに、いま祖師先徳のおしえにあらざる自義をもって、諸人の形体を安置の条、これ渇仰のためか、これ恋慕のためか、不審なきにあらざるものなり。本尊なおもって『観経』所説の十三定善の第八の像観よりいでたる丈六八尺随機現の形像をば、祖師あながち御庶幾御依用にあらず。天親論主の礼拝門の論文、すなわち「帰命尽十方無碍光如来」(浄土論)をもって、真宗の御本尊とあがめましましき。いわんや、その余の人形において、あにかきあがめましますべしや。末学自己の義、すみやかにこれを停止すべし。
(3)一 遁世のかたちをこととし、異形をこのみ、裳無衣を着し、黒袈裟をもちいる、しかるべからざる事。
 それ出世の法において五戒と称し、世法にありては五常となづくる仁・義・礼・智・信をまもりて、内心には他力の不思議をたもつべきよし、師資相承したてまつるところなり。しかるに、い