巻次 - 688頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 めて、万人のききを悦ばしめ、随喜せしめたまいけり。それよりこのかた、わが朝に、一念多念、声明あいわかれて、いまにかたのごとく余塵をのこさる。祖師聖人の御ときは、さかりに多念声明の法燈、俱阿弥陀仏の余流充満のころにて、御坊中の禅襟達も少々これを、もてあそばれけり。祖師の御意巧としては、全く、念仏のこわいき、いかように節はかせを、定むべしという仰せなし。ただ弥陀願力の不思議、凡夫往生の他力の一途ばかりを、自行化他の御つとめとしましましき。音声の御沙汰さらにこれなし。しかれども、とき世の風儀、多念の声明をもって、ひとおおくこれをもてあそぶについて、御坊中の人々御同宿達もかの声明にこころをよするについて、いささかこれを稽古せらるる人々ありけり。そのとき、東国より上洛の道俗等、御坊中逗留のほど、耳にふれけるか。まったく聖人の仰せとして、音曲を定めて称名せよという御沙汰なし。されば、ふしはかせの御沙汰なきうえは、なまれるをまねび、なまらざるをもまなぶべき御沙汰に及ばざるものなり。しかるに、いま生得になまらざるこえをもって、生得になまれる坂東ごえをわざとまねびて、字声をゆがむる条、音曲をもって往生の得否を定められたるににたり。詮ずるところ、ただおのれがこえの生得なるに任せて、田舎のこえは力なくなまりて念仏し、王城のこえはなまらざる、おのれなりのこえをもって、念仏すべきなり。こえ仏事をなすいわれも、かたのごとくの結縁分なり。音曲更に報土往生の真因にあらず。ただ他力の一心をもって往生の時節を定めまします条、口伝といい御釈といい顕然なり。しるべし。15一 一向専修の名言をさきとして、仏智の不思議をもって報土往生をとぐるいわれをば、その沙汰におよばざる、いわれなき事。 紙面画像を印刷 前のページ p688 次のページ 第二版p837・838へ このページの先頭に戻る