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703頁
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そのあやまりをのがれがたきか。よくよくつつしむべし。ただし、一分なりとも信受するところの義、一味同行のなかにおいてこれをはばかるべきにあらず。いまこころみに料簡するに、まず浄土の一門をたつることは三部妙典の説にいでたり。そのなかに、弥陀如来因位の本願をときて凡夫の往生を決すること、『大経』の説これなり。その説というは四十八願なり。四十八願のなかに、念仏往生の一益をとくことは第十八の願にあり。しかるに第十八の願のなかに、臨終平生の沙汰なし、聖衆来現の儀をあかさず。かるがゆえに、十八の願に帰して念仏を修し往生をねがうとき、臨終をまたず来迎を期すべからずとなり。すなわち、第十八の願にいわく、「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚」といえり。この願のこころは、「たといわれ仏をえたらんに、十方の衆生、心をいたし信楽して、わがくににうまれんとおもうて、乃至十念せん、もしうまれずは正覚をとらじ」となり。この願文のなかに、まったく臨終ととかず平生といわず、ただ至心信楽の機において十念の往生をあかせり。しかれば臨終に信楽せば臨終に往生治定すべし、平生に至心せば平生に往生決得すべし。さらに平生と臨終とによるべからず。ただ仏法にあう時節の分斉にあるべし。しかるに、われらはすでに平生に聞名欲往生の義あり。ここにしりぬ、臨終の機にあらず平生の機なりということを。かるがゆえにふたたび臨終にこころをかくべからずとなり。しかのみならず、おなじき第十八の願成就の文にいわく、「諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向 願生彼国 即得往生 住不退転」といえり。この文のこころは、「あらゆる衆生、その名号をききて、信心歓喜し、乃至一念せん、至心に回向したまえり、かのくににうまれんと願ずれば、すなわち往生をえ、不退転に住す」となり。