巻次 本 855頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 師のおしえをききて、わが信心をたくわうるばかりなり。しかるに、世のなかにひろまれる諸流、みな臨終をいのり来迎を期す。これを期せざるはひとりわがいえなり。しかるあいだ、これをきくものは、ほとほとみみをおどろかし、これをそねむものは、はなはだあざけりをなす。しかれば、たやすくこの義を談ずべからず。他人謗法のつみをまねかざらんがためなり。それ、親鸞聖人は深智博覧にして内典・外典にわたり、恵解高遠にして聖道・浄土をかねたり。ことに浄土門にいりたまいしのちは、もっぱら一宗のふかきみなもとをきわめ、あくまで明師のねんごろなるおしえをうけたまえり。あるいはそのゆるされをこうぶりて製作をあいつたえ、あるいはかのあわれみにあずかりて真影をうつしたまわらしむ。としをわたり日をわたりて、そのおしえをうくるひと千万なりといえども、したしきといい、うときといい、製作をたまわり真影をうつすひとは、そのかずおおからず。したがいて、この門流のひろまれること、自宗・他宗にならびなく、その利益のさかりなること、田舎・辺鄙におよべり。化導のとおくあまねきは、智恵のひろきがいたすところなり。しかれば、相承の義さだめて仏意にそむくべからず。ながれをくむやから、ただあおいで信をとるべし。無智の末学、なまじいに経釈について義を論ぜば、そのあやまりをのがれがたきか。よくよくつつしむべし。ただし、一分なりとも信受するところの義、一味同行のなかにおいて、これをはばかるべきにあらず。 いまこころみに料簡するに、まず浄土の一門をたつることは三部妙典の説にいでたり。そのな 紙面画像を印刷 前のページ p855 次のページ 初版p702・703へ このページの先頭に戻る