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707頁
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うことあるべからず。浄土は不退なり、穢土は有退なり。菩薩のくらいにおいて不退を論ず。凡夫はみな退位なり。しかるに薄地底下の凡夫なれども、弥陀の名号をたもちて金剛の信心をおこせば、よこさまに三界流転の報をはなるるゆえに、その義、不退をうるにあたれるなり。これすなわち、菩薩のくらいにおいて論ずるところの位・行・念の三不退等にはあらず。いまいうところの不退というは、これ心不退なり。されば、善導和尚の『往生礼讃』には、「蒙光触者心不退」と釈せり。こころは、「弥陀如来の摂取の光益にあずかりぬれば、心不退をう」となり。まさしくかの『阿弥陀経』の文には、「欲生阿弥陀仏国者 是諸人等 皆得不退転於阿耨多羅三藐三菩提」といえり。「願をおこして阿弥陀仏のくににうまれんとおもえば、このもろもろのひとらみな不退転をう」といえる、現生において願生の信心をおこせば、すなわち不退にかなうということ、その文、はなはだあきらかなり。またおなじき『経』のつぎかみの文に、念仏の行者のうるところの益をとくとして、「是諸善男子善女人 皆為一切諸仏 共所護念 皆得不退転於阿耨多羅三藐三菩提」といえり。こころは、「このもろもろの善男子・善女人、みな一切諸仏のためにともに護念せられて、みな不退転を阿耨多羅三藐三菩提をう」となり。しかれば、阿弥陀仏のくににうまれんとおもうまことなる信心のおこるとき、弥陀如来は遍照の光明をもって、これをおさめとり、諸仏はこころをひとつにしてこの信心を護念したまうがゆえに、一切の悪業煩悩にさえられず、この心すなわち不退にしてかならず往生をうるなり。これを「即得往生 住不退転」ととくなり。「すなわち往生をう」といえるは、やがて往生をうというなり。ただし、「即得往生 住不退転」といえる、浄土に往生して、不退をうべき義を遮せんとにはあらず。まさしく往生ののち、