巻次
下本
733頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

たずね、蓬戸を閉ずといえども、貴賤衢に溢る。仏法弘通の本懐ここに成就し、衆生利益の宿念たちまちに満足す。此の時、聖人仰せられて云わく、「救世菩薩の告命を受けし往の夢、既に今と符合せり。」

(絵)

 聖人常陸国にして、専修念仏の義をひろめ給うに、おおよそ、疑謗の輩はすくなく、信順の族はおおし。しかるに一人の僧 山臥云々 ありて、ややもすれば、仏法に怨をなしつつ、結句害心を挿んで、聖人を時々うかがいたてまつる。聖人、板敷山という深山を恒に往反し給いけるに、彼の山にして度々相待つといえども、さらに其の節をとげず、倩ことの参差を案ずるに、頗奇特のおもいあり。よって、聖人に謁せんとおもう心つきて禅室に行きて尋申すに、聖人左右なく出会いたまいにけり。すなわち尊顔にむかいたてまつるに、害心忽に消滅して、剰後悔の涙禁じがたし。ややしばらくありて、有のままに、日来の宿鬱を述すといえども聖人またおどろける色なし。たちどころに弓箭をきり、刀杖をすて、頭巾をとり、柿衣をあらためて、仏教に帰しつつ終に素懐をとげき。不思議なりし事なり。すなわち明法房是なり。聖人これをつけ給いき。

(絵)


康永二歳 癸未 十一月一日絵詞染筆訖

沙門宗昭 七十四