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ず、かるがゆえにこのひかりをもって無明の闇を破するなり。「不断光仏」というは、一切のときに、ときとして、てらさずということなし、三世常恒にして照益をなすがゆえなり。「難思光仏」というは、神光相をはなれてなづくべきところなし、はるかに言語の境界をこえたるがゆえなり。こころをもってはかるべからざれば、「難思光仏」といい、ことばをもってとくべからざれば、「無称光仏」と号す。『無量寿如来会』には、「難思光仏」をば「不可思議光」となづけ、「無称光仏」をば「不可称量光」といえり。「超日月光仏」というは、日月はただ四天下をてらして、かみ上天におよばず、しも地獄にいたらず、仏光はあまねく八方上下をてらして、障碍するところなし、かるがゆえに日月にこえたり。されば十二光をはなちて十方微塵世界をてらして衆生を利益したまうなり。
 「一切群生蒙光照」というは、あらゆる衆生宿善あればみな光照の益にあずかりたてまつるといえる心なり。
 「本願名号正定業」というは、第十七の願のこころなり。十方の諸仏にわが名をほめられんとちかいましまして、すでにその願成就したまえるすがたは、すなわちいまの本願の名号の体なり。これすなわち、われらが往生をとぐべき行体なりとしるべし。「至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」というは、第十八の真実の信心をうれば、すなわち正定聚に住す、そのうえに等正覚にいたり大涅槃を証することは、第十一の願の必至滅度の願成就したまうがゆえなり。これを平生業成とはもうすなり。されば正定聚というは、不退のくらいなり、これはこの土の益なり、滅度というは涅槃のくらいなり、これはかの土の益なりとし