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「即横超絶五悪趣」というは、一念慶喜の心おこりぬれば、すなわちよこさまに地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天のきずなをきる、というこころなり。
「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是人名分陀利華」というは、一切の善人も悪人も如来の本願を聞信すれば、釈尊はこのひとを「広大勝解のひと」(如来会)なりといい、また「分陀利華」(観経)にたとえ、あるいは「上上人」なりといい、「希有人」なりとほめたまえり。
「弥陀仏本願念仏 邪見憍慢悪衆生 信楽受持甚以難 難中之難無過斯」というは、弥陀如来の本願の念仏をば、邪見のものと憍慢のものと悪人とは、真実に信楽したてまつること、かたきがなかにかたきことこれにすぎたるはなしと、いえるこころなり。
「印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 明如来本誓応機」というは、印度西天というは、天竺のことなり、中夏というは唐土なり、日域というは日本のことなり。かの三国の祖師等、念仏の一行をすすめ、ことに釈尊出世の本懐はただ弥陀の本願をあまねくときあらわして、末世の凡夫の機に応じたることをあかしましますなり。
「釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺 龍樹大士出於世 悉能摧破有無見 宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽」というは、この龍樹菩薩は(八宗の祖師、千部の論師なり。)釈尊の滅後五百余歳に出世したまう。釈尊これをかねてしろしめして、『楞伽経』にときたまわく、「南天竺国に龍樹という比丘あるべし、よく有無の邪見を破して、大乗無上の法をときて、歓喜地を証して、安楽に往生すべし」と、未来記したまえり。
