巻次 - 756頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 ろめたまいき。されば聖道は難行なり、浄土は易行なるがゆえに、ただ当今の凡夫は、浄土の一門のみ通入すべきみちなりとおしえたまえり。 「万善自力貶勤修 円満徳号勧専称」というは、万善は自力の行なるがゆえに、末代の機には修行することかないがたしといえり。円満の徳号は他力の行なるがゆえに、末代の機には相応せりといえるこころなり。 「三不三信誨慇懃 像末法滅同悲引」というは、道綽、『安楽集』に三不三信ということを釈したまえり。「一者信心不淳 若存若亡故 二者信心不一 謂無決定故 三者信心不相続 謂余念間故」といえり。かくのごとくねんごろにおしえたまいて、像法末法の衆生をおなじくあわれみましましけり。 「一生造悪値弘誓 至安養界証妙果」というは、弥陀の弘誓にもうあいたてまつるによりて、一生悪をつくる機も本願の不思議によりて安養界にいたりぬれば、すみやかに無上の妙果を証すべきものなり。 「善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪」というは、浄土門の祖師そのかずこれおおしといえども、善導にかぎりひとり仏証をこうて、あやまりなく仏の正意をあかしたまえり。定善の機、散善の機、五逆の機をも、もらさずあわれみたまいけり、という心なり。 「光明名号顕因縁」というは、弥陀如来の四十八願のなかに第十二の願は、わがひかりきわなからんとちかいたまえり、これすなわち念仏の衆生を摂取のためなり。かの願すでに成就して、あまねく無碍のひかりをもって十方微塵世界をてらしたまいて、衆生の煩悩悪業を長時にてらしまします。さればこのひかりの縁にあう衆生、ようやく無明の昏闇うすくなりて、宿善のたねきざすとき、まさしく報土にうまるべき第十八の念仏 紙面画像を印刷 前のページ p756 次のページ 第二版p914・915へ このページの先頭に戻る