巻次 - 914頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 「往還回向由他力 正定之因唯信心」というは、往相・還相の二種の回向は、凡夫としてはさらにおこさざるものなり。ことごとく如来の他力よりおこさしめられたり。正定の因は信心をおこさしむるによれるものなりとなり。 「惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃」というは、一念の信おこりぬれば、いかなる惑染の機なりというとも、不可思議の法なるがゆえに、生死はすなわち涅槃なりといえるこころなり。 「必至無量光明土 諸有衆生皆普化」というは、聖人(親鸞)、弥陀の真土をさだめたまうとき、「仏は不可思議光なり、土はまた無量光明土なり」(真仏土巻)といえり。かの土にいたりなば、また穢土にたちかえり、あらゆる有情を化すべしとなり。 「道綽決聖道難証 唯明浄土可通入」というは、この道綽は、もとは涅槃宗の学者なり。曇鸞和尚の面授の弟子にあらず。その時代、一百余歳をへだてたり。しかれども幷州玄忠寺にして曇鸞の碑の文をみて、浄土に帰したまいしゆえに、かの弟子たり。これまたついに涅槃の広業をさしおきて、ひとえに西方の行をひろめたまいき。されば聖道は難行なり、浄土は易行なるがゆえに、ただ当今の凡夫は、浄土の一門のみ通入すべきみちなりとおしえたまえり。 「万善自力貶勤修 円満徳号勧専称」というは、万善は自力の行なるがゆえに、末代の機には修行すること、かないがたしといえり。円満の徳号は他力の行なるがゆえに、末代の機には相応せりといえるこころなり。 紙面画像を印刷 前のページ p914 次のページ 初版p755・756へ このページの先頭に戻る